宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。また、ご葬儀以外のご利用にも対応しますので、ご相談ください。
 お参りできる場所があることの安心はとても大きいと思います。当サイトにお越しくださった皆様方との新たなご仏縁に感謝いたします。合掌  宗圓寺住職 

2017/04/30

今月の言葉(2017年5月)
  
  ※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
  ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


「大信心[だいしんじん]は仏性[ぶっしょう]なり
                     仏性すなわち如来[にょらい]なり」(親鸞聖人作『浄土和讃』より)

和讃全文
 信心よろこぶそのひとを
  如来とひとしとときたまふ
  大信心は仏性なり
  仏性すなわち如来なり
   ※如来・・・仏様のこと 
   ※仏性・・・仏の本性、または仏になる可能性をいう
   ※大信心・・・他力信心のこと。衆生を涅槃のさとりに至らせるすぐれた徳をもっていることから、このようにいう

現代語訳
 信心を得て喜ぶ人のことを、如来と等しいと説かれている。大いなる信心は仏性である。仏性すなわち如来である。





「口がとんがってしまうと 耳がそまつになる 口より耳が大切なのに」  
                                     (東井義雄師)                       

 ついつい自己主張をしてしまう口と、他人の主張に出遭う耳。真宗では“聴聞ちょうもん”を大切にする。自ら進んで耳を傾ける「聴」、自然に耳に届く「聞」、いずれも大切だが「聞」を尊ぶ。




<あなたのご宗旨は?>

 当寺は、浄土真宗本願寺派(西本願寺、お西)です。
 日頃からお参りできる「お手次寺(檀那寺、菩提寺)」はおありですか。当寺にご相談ください。
 ・月命日、祥月命日、盆、年忌法要、葬儀等のお参り希望の方。
 ・新たに、お手次の寺を探したい方。
 ・郷里にお寺があるけれど、当地で法要をなさりたい方(離郷門徒の方)。