今月の言葉(2018年2月)
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
今月の言葉(A)
「信心のさだまるとき
往生またさだまるなり」
(親鸞聖人作『末灯鈔』より)
学生時代に読んだ仏教全集(決して全巻を読んだ訳ではないのだが)の親鸞聖人の巻のタイトルは「絶望と歓喜」だった。救われようのない絶望の中でもうこの道しか私にはない。信じるしかない。そこまで自分を見詰め切った時、光がようやく射してくるのか。光に包まれるのか。あるいは我(執)が融ける時、とでも言ったらよいのか。
※『末灯鈔まっとうしょう』・・・宗祖親鸞聖人の御消息[ごしょうそく]22通を集成したもの。本願寺3代の覚如の次男従覚が1333年に編集した。御消息は、手紙や手紙の形式をとった法語などのことで、それを尊称して御消息という。
今月の言葉(B)
「生かさるる
いのち尊し けさの春」
(中村久子師)
中村久子・・・飛騨高山に生まれ(1897~1968)、「日本のヘレン・ケラー」といわれる。幼い頃、凍傷がもとで四肢の先端部分を切断。その後母の厳しい教育により、自分の可能性を信じ、何でも自分の力ですることをしつけられた。口で糸を通し、口で字を書き、「だるま娘」として見世物小屋に身を売られて暮らす。40歳過ぎにヘレン・ケラー女史に会い、「私より不幸な、そして偉大な人」と言われた。
その後、親鸞聖人の言葉を収録した『歎異抄』に出会い、念仏者として生きる道を見つけた。
「手足なき身なしあれども
生かされる今の命の尊かり」
「人生に絶望なし 如何なる人生にも 決して絶望はない」
生かされていることの尊さ、社会的に生かされている、人間として生かされている、生物として生かされている、どうであれ「生かされている」ことの尊さ。
高山国分寺境内には彼女が建立した悲母観世音菩薩銅像があり、高山別院(真宗大谷派)には彼女の常設展示場があるそうだ。私は家族とともに数年前に高山を旅行して両寺を訪れたが、銅像も展示場も知らずに帰った。
この度彼女のことを初めて調べ、誠に残念な気分になった。
国分寺では、愛知県では著名な書道教育者で、現在息子が書道を習っている叔父の師匠であった岡本白涛先生の額は見つけることができたのに。
なお、彼女が書道を師事したのが沖六鵬ということも今回知った。学生時代にその作品をよくお手本にしていた。気品のある小ぶりの楷書作品がとても好きだった。どういうご縁で師事なさったのだろう。