今月の言葉(2018年6月)
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
今月の言葉(A)
「自力の御はからいにては
真実の報土へ生るべからざるなり」
(『親鸞聖人御消息』より)
現代語訳
自力のはからいでは、真実の浄土に生れることはできないのです。
※自力・・・他力に対する語。自ら修めた善根によって迷いを離れようとすること。
※真実の浄土・・・阿弥陀仏の因位の誓願と修行により成就された浄土(報土)。第18願の他力念仏の行者が往生する浄土をいう。
※因位・・・菩薩(さとりを求めて修行する者)が仏のさとりを開くために願をたてて行を修めている間をいう。阿弥陀仏の因位の名を法蔵菩薩という。
※第18願・・・阿弥陀仏が仏になるための修行中に誓われた、すべての人々を救うと誓われた48の願いの中の18番目の願い。『仏説無量寿経』に「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、私の国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、私は決してさとりを開きません」とある。
今月の言葉(B)
「信を得るというはハイというまでのことでありますげな」
(三河 鈴木その師)
三河のおそのさん(1777~1853)は、三河渥美郡田原の生まれ。3才の長女が野良犬にかみ殺されたことを機縁に仏法を真剣に聴くようになったと言われる。「げな」は三河弁?
「ハイ」と言うまでにどれほどの苦悩があったのだろう。どれほどの自己否定があったのだろう。どれほどの聴聞があったのだろう。きっと「ハイ」と言えない自分との格闘が長く続いたのだろう。けれど単純にその苦悶の延長線上に「信」があったのではないだろう。ある瞬間、苦悶・格闘を飛び越えて「信」に至った。だからこそ、「ハイというまでのこと」とあっさりと言えるのではないだろうか。
飛行機は長い滑走路を走り、ある一瞬で離陸する。離陸前は機体の小さな窓からほんの僅かな景色と自分の足元しか見えなかったのに、離陸したら広い大地も広い空も見ることができる。「信を得る」とは、そういう目にする景色の変化があるような気がする。
ただ、自分の意志・意識として「信じる」姿勢においては、景色の変化はなく、より自分の視野のみを注視することになるような気がする。阿弥陀様は私の「信心」までも用意してくださっている。