宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。また、ご葬儀以外のご利用にも対応しますので、ご相談ください。
 お参りできる場所があることの安心はとても大きいと思います。当サイトにお越しくださった皆様方との新たなご仏縁に感謝いたします。合掌  宗圓寺住職 

2018/09/01

今月の言葉(2018年9月

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「まことの信心の人をば  諸仏とひとしともうすなり」 
             (親鸞聖人著『親鸞聖人御消息』より)

現代語訳

真実の信心を得た人を、仏がたと等しいというのです。

上の言葉を引用した宗祖親鸞聖人の『御消息』には、

「(阿弥陀仏の誓願を信じる心が)定まることを、すべての世界の仏がたはよろこんで、仏がたのお心に等しいとおほめになるのです。ですから、真実の信心を得た人を、仏がたと等しいというのです」とある。

※御消息・・・手紙や手紙の形式をとった法語などのこと。
※誓願・・・目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意志のこと。すべての生きとし生けるものを救いたいという願いを、阿弥陀仏はもたれた。


今月の言葉(B)

「助かるとも助かるとも この清九郎でさえ助かるものを 
                                  (奈良県 清九郎師)

※大和の清九郎・・・1678~1750、奈良県出身。若い頃は放蕩生活だったようだが、新妻が産後のひだちが悪く子どもを残して亡くなってしまい、これを機に寺に通い、聞法するようになったという。また、「ホーホケキョ」のうぐいすの鳴き声が「法を聞けよ」と聞こえ、仏教に発心したという伝説がある。



《 お 彼 岸 》

彼岸(ひがん、かの岸)は、生死の迷いを超えた“さとりの世界”のこと。迷いの世界である此岸(しがん)に対する語で、梵語パーラミター(pãramitã 音訳「波羅蜜多」)の意訳である“到彼岸”の略。

彼岸は毎年春分・秋分の日の前後7日間で、日本で始まった仏教行事。各宗で修業をするのによい時節とされる。浄土真宗では仏徳讃嘆、報恩感謝の法要をする(彼岸会、讃仏会といったこともある)が、念仏修業を期するものではないとされる。

秋の彼岸の中心となる「秋分の日」は、祖先をうやまい、なくなった人びとをしのぶ日とされる。墓前で手を合わせる時、いのちの縦糸を手繰ることができる。自分のいのちや生き方に、遠い先祖からの願いが掛かっていることを知る機会。合掌