※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
「仏の御名をきくひとは ながく不退にかなうなり」
(親鸞聖人作『浄土和讃』より)
和讃全文
たとひ大千世界[だいせんせかい]に
みてらん火をもすぎゆきて
仏[ぶつ]の御名[みな]をきくひとは
ながく不退[ふたい]にかなうなり
現代語訳
たとえ世界中が火の海になったとしても、ひるまず進み、阿弥陀仏の名号(名号は仏の名。ここでは「南無阿弥陀仏」のこと)を聞き信じる人は、決して迷いの世界にもどることのない身(不退の身、不退は「不退転」の略)となるのである。
「一番はもちろん尊い しかし一番より尊いビリがある」 (東井義雄師)
ビリであることは、ちっともはずかしいことではない。なまけることのほうが、よっぽどはずかしいことだ。走ることに限らず、生きていく間には、いろいろなことでビリを走らなければならないことがあります。
しかし、そのとき、どうか日本一立派なビリであることができるよう、こころがけてほしいと思います。堂々としたビリであってほしいと思います。これは、なかなか難しいことです。ビリになると、どうしてもひくつになり、はずかしくなり、心まで貧乏になりやすいからです。ですが、ビリの味のわかる人間でなければ、困っている人、弱い人、貧しい人の気持ちなんか、絶対にわかるものではありません。とにかく、ビリになっているときは、その人にとって得がたい勉強の機会を与えられているときだと思います。
(東井義雄著『東井義雄「こころ」の教え』より)
〈4月は「花まつり」〉
4月8日はお釈迦様(釈尊)の誕生日。約2500年前のインドにお生まれになられました。誕生を祝う仏事を「花まつり」または「灌仏会かんぶつえ」といいます。
その日、天から甘露の雨が降り注いだと伝えられることに因んで、香木を浮かせた水や甘茶をお釈迦様の像に灌[そそ]ぎます。
お生まれになったときに発せられた言葉が、有名な「天上天下唯我独尊」。人はだれでも、天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊い。「われ一人だけが尊い」という意味ではありません。
その日、天から甘露の雨が降り注いだと伝えられることに因んで、香木を浮かせた水や甘茶をお釈迦様の像に灌[そそ]ぎます。
お生まれになったときに発せられた言葉が、有名な「天上天下唯我独尊」。人はだれでも、天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊い。「われ一人だけが尊い」という意味ではありません。