2020/01/01

 宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。
 お参りできる場所があることの安心は大きいと思います。新たなご仏縁に感謝いたします。  合掌


春には境内の桜が見事に咲きます
 

2018/10/02

今月の言葉(2018年10

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「煩は身をわずらわす 悩はこころをなやますという」 
             (親鸞聖人著『唯信鈔文意』より)

現代語訳

「煩」は身をわずらわせるということであり、「脳」は心をなやませるということである。


※煩悩・・・梵語クレーシャの意訳。惑とも意訳する。衆生はこうした煩悩によって業を起こし、苦報を受けて迷界に流転(輪廻)する。そのため、煩悩を滅したさとりの境地にいたることが仏教の究極的な実践目的とされる。

※業・・・梵語カルマンの意訳。広い意味での行為、
結果を引き起こすはたらきをいう。仏教では、それ以前の宿業論的な業の働きではなく、様々なご縁によって成り立つ自己ととらえ、運命的・固定的に自分の存在を考えない。

※輪廻・・・梵語サンサーラの意訳。流れるの意味。車輪が回転してきわまりないように、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天)の迷いの世界を生まれ変わり死に変わりし続けること。

※『唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』・・・宗祖が、同じ法然門下の先輩にあたる聖覚の著わした『唯信抄』について、その題号および引用された経釈の要文に註釈を施したものである。



今月の言葉(B)

「いくたびか お手間かかりし 菊の花 
                               (加賀 千代女師)

平面的に読めば、菊がりっぱな大輪の花を咲かすまでには小さい鉢から大きい鉢へと段々と植え替え、いろんな肥料をやり多くの手間がかかるということでしょう。けれども実は、この見事に咲いた大輪の菊の花を眺めて、自分自身のことを味わっていらっしゃるのです。だから「お手間」なのですね。自分が菊作りのために手間をかけたというだけではなくてこの自分が、今の本当に疾風怒濤波乱万丈の人生の果てにようやくこの安らぎをいただきました。いろんな人、有縁の方々、そして仏様のご縁に遇ってようやくこの安らぎの心境を頂戴しました。そういう感動の句です。
以上は、『ぎんなん文集』50号(昨年11月23日の当寺報恩講での渡辺悌爾先生の法話を収録)より要約

※加賀千代女・・・石川県出身、1703~1775。江戸時代で最も有名な女性俳人。法名素園。石川県白山市の真宗大谷派聖興寺には千代女記念館「遺芳館」や千代尼塚があるので、その寺のご門徒であったのだろう。「朝顔に釣瓶とられてもらいひ水」の句が有名。



《 “AMD48” をご存知?》

“AKB48”ならぬ“AMD48”をご存知ですか。住職が勝手に命名したのですが、AMiDa48、つまり『仏説無量寿経』にある阿弥陀仏の「四十八願」です。浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏が仏になる前の修行中、48の誓願を建て、その願いが実現しないうちは仏にならないと誓われました。“本願”といわれる18番目の願(第十八願)が特に重要で、「すべての人をお浄土に生まれさせる」と誓われた“願”です。

《献花献灯衆[けんかけんとうしゅう]の募集》

~仏さまにお花とお光をお供えしましょう〜


「献花献灯」とは・・・

法要で仏さまにお花やお光(ひかり・ろうそく)をお供(そな)えすること。そして、献花献灯をする人たちを「献花献灯衆」とよびます。子どものころから法要に参加し、仏さまにお参りして、仏さまを身近に、大切に思う心を持っていただきたいです。こういう宗教的な体験がきっと、勉強やスポーツをするための土台となり、人間として暮らすもっとも重要な基礎になると考えます。多くの方が参加してくださることを希望します。合掌  住職


【献花献灯のおもな動作】

1.2人一組で、それぞれが花瓶やろうそく立てを持ち、仏さまの前に進みます。
2.一礼してから、決められた場所に花瓶やろうそく立をお供えします。
3.2人並んでお焼香をし、合掌礼拝をしてから着席します。


【募 集 要 項】

◇時・所  11月23日(祝)午後1時……毎年の報恩講法要の日 宗圓寺本堂

◇対 象  今まで小学生が多いのですが実は、どなたでも結構。幼稚園年少の方におばあさんが付き添ってとか、大学生お一人でもOK!

◇服 装  「ややよそ行き」の感じでお願いします(礼服とか、黒色の必要はありません。色とりどりで)。念珠持参(お持ちでなければ寺にご相談ください)

◇当日の流れ 11:00集合(1階講堂…本堂玄関入ってすぐ横)に集合~2階本堂で練習~昼食(かんたんなものですが、1階講堂にて)~13:00法要(献花献灯は最初)~14:00読経後、献花献灯衆に記念品配布・解散

◆参加してくださる方は、寺まで連絡してください

連絡先:宗圓寺 名古屋市中区東桜2-18-19 TEL052-931-6051
Eメールは左記「お問い合わせフォーム」からお願いします。


2018/09/15

《お彼岸の墓地出張について》

暑さ寒さも彼岸まで。秋のお彼岸が近づきました。
彼岸中の平和公園墓地出張は下記です。

9月16日(日) 午前9時~11時半 法務員一人が出張します

9月22日(土) 午前7時~12時  住職と法務員が出張します
9月23日(日) 午前7時~12時  住職と法務員が出張します

期間中にぜひ、お参りください。

2018/09/01

今月の言葉(2018年9月

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「まことの信心の人をば  諸仏とひとしともうすなり」 
             (親鸞聖人著『親鸞聖人御消息』より)

現代語訳

真実の信心を得た人を、仏がたと等しいというのです。

上の言葉を引用した宗祖親鸞聖人の『御消息』には、

「(阿弥陀仏の誓願を信じる心が)定まることを、すべての世界の仏がたはよろこんで、仏がたのお心に等しいとおほめになるのです。ですから、真実の信心を得た人を、仏がたと等しいというのです」とある。

※御消息・・・手紙や手紙の形式をとった法語などのこと。
※誓願・・・目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意志のこと。すべての生きとし生けるものを救いたいという願いを、阿弥陀仏はもたれた。


今月の言葉(B)

「助かるとも助かるとも この清九郎でさえ助かるものを 
                                  (奈良県 清九郎師)

※大和の清九郎・・・1678~1750、奈良県出身。若い頃は放蕩生活だったようだが、新妻が産後のひだちが悪く子どもを残して亡くなってしまい、これを機に寺に通い、聞法するようになったという。また、「ホーホケキョ」のうぐいすの鳴き声が「法を聞けよ」と聞こえ、仏教に発心したという伝説がある。



《 お 彼 岸 》

彼岸(ひがん、かの岸)は、生死の迷いを超えた“さとりの世界”のこと。迷いの世界である此岸(しがん)に対する語で、梵語パーラミター(pãramitã 音訳「波羅蜜多」)の意訳である“到彼岸”の略。

彼岸は毎年春分・秋分の日の前後7日間で、日本で始まった仏教行事。各宗で修業をするのによい時節とされる。浄土真宗では仏徳讃嘆、報恩感謝の法要をする(彼岸会、讃仏会といったこともある)が、念仏修業を期するものではないとされる。

秋の彼岸の中心となる「秋分の日」は、祖先をうやまい、なくなった人びとをしのぶ日とされる。墓前で手を合わせる時、いのちの縦糸を手繰ることができる。自分のいのちや生き方に、遠い先祖からの願いが掛かっていることを知る機会。合掌



2018/07/31

《盆の墓地出張》

今年のお盆の墓地出張は下記の日程です。期間中にぜひ、ご参詣ください。

8月5日(日) 11日(土、山の日) 13日(月)

いずれも午前7時から正午まで、雨天中止、11日は混雑を予想

※ご自宅での盆経をご希望の方は、早めにお申し出ください。

今月の言葉(2018年8月

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「凡夫はすなわちわれらなり」 
         (親鸞聖人著『一念多念文意』より)

現代語訳

「凡夫」とは、すなわちわたしどものことである。

『一念多念文意』(現代語訳)の他所には、

「『凡夫』というのは、わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起こり、まさに命が終わろうとするそのときまで、とまることもなく、消えることもなく、絶えることもない」とある。

※凡夫[ぼんぶ]・・・凡愚ともいい、聖者に対する語。四諦の真理をさとらず、煩悩に束縛されて六道を輪廻する者をいう。煩悩に束縛されて迷っている人。

※四諦[したい]・・・4つの真理で、お釈迦様の最初の説法の内容とされ、仏教の根本教理の一つに数えられる。つまり、①苦諦[くたい](人生は苦であるという真理)、②集諦[じったい](苦を招き集める原因は渇愛であるという真理)、③滅諦[めったい](渇愛を滅することによって苦のない境地が実現するという真理)、④道諦[どうたい](苦のない境地に至るためには、八正道を実践すべきであるという真理)。

※八正道[はっしょうどう]・・・さとりに至るための8種の正しい実践方法のこと。①正見②正思惟③正語④正業⑤正命⑥正精進⑦正念⑧正定

※六道[ろくどう]/輪廻[りんね]・・・衆生がそれぞれの行為によって趣き往く6つの迷いの世界。つまり、①地獄②餓鬼③畜生④阿修羅⑤人間⑥天。仏教は、その6つの迷いの世界を生まれ変わり死に変わりする(輪廻)から離れることを目的とする。

※『一念多念文意いちねんたねんもんい』・・・専修念仏は一念多念のいずれにも偏執しない、念仏往生の義であることを明らかにしたもの。『一念多念証文』ともいう。

※専修[せんじゅ]念仏・・・南無阿弥陀仏(念仏)を称えることだけを修すること。

※一念多念・・・浄土往生は信心一つで決定する、または1回の念仏だけで決定するとし、その後の念仏を軽視する一念義の説と、一生涯、数多くの念仏を称え、臨終来迎(臨終時に阿弥陀如来がその人を迎えに来ること)をまって浄土往生が決定するという多念義の説。または、両者の論争のこと。


今月の言葉(B)

「仏法のお助けは
   出直してこいちゅう お叱りじゃわいのう 
                           (山口県 お軽師)

※六連島のお軽同行・・・山口県六連島[むつれじま]出身のお軽[おかる]さんは妙好人のお一人(1801~1857)。夫に愛人ができ嫉妬に怒り苦しむことが機縁となって聞法するようになった。35歳の頃、病で生死をさまようこととなり、この頃より読み書きのできなかったそうだが、心の喜びが歌となって生れてきたという。
六連島では盆の三日間夜を徹して盆踊りが行われ、その中に「法悦踊り」というのがあり、お軽さんの歌が盆踊り歌として今も歌いつがれているそうだ。

※同行[どうぎょう]・・・浄土真宗において、心を同じくして共に念仏の道を行ずるもののこと。

※妙好人・・・念仏者をほめ称えていう語。



《盂蘭盆会とは》

盂蘭盆会[うらぼんえ]は盆会、歓喜会などともいい、『盂蘭盆経』に説かれた故事に由来するといわれる法要。その経には目連尊者が安居[あんご※]の最終日(旧暦の7月15日)に衆僧を供養することによって、餓鬼道で苦しむ母を救ったと説かれている。日本では先祖崇拝の風習と結びついて仏教行事の一つとなった。
浄土真宗では、こうした先祖供養の意ではなく、故人を追憶するとともに、無常の理を感じて仏恩報謝する仏事とされる。ご先祖に出会えるお墓参りの際には、ご先祖から今の私に至るいのちのつながりに思いを馳せて感謝し、それと同時に、ご先祖をお浄土に往生させて仏様にしてくださった阿弥陀様のおはたらきを忘れることなく、感謝の「南無阿弥陀仏」を申しあげたい。

※安居…インドの雨季、修行僧は遊行を避け一所で集中して修業したことをいう。わが国でも教学を研鑽する期間として各宗が行う。


2018/07/01

今月の言葉(2018年7月

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「雑毒の善をもってかの浄土に回向する
  これ必ず不可なり」  (親鸞聖人著『浄土文類聚鈔』より)

現代語訳
この毒のまじった善を回向しても、阿弥陀仏の浄土に往生することはできない。

※回向・・・ここでは自力の回向のこと。行者が自ら修める善根の功徳をふり向けて浄土へ往生しようとすること。
※浄土文類聚鈔・・・浄土三部経と龍樹・天親・曇鸞・善導の論釈を引いて、浄土真宗の要義を記している。
※浄土三部経・・・仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)のこと。浄土真宗の正依の経典。




今月の言葉(B)

「どこに居ても寝ておる所が極楽の次の間じゃ
                        (讃岐の庄松師)

※讃岐の庄松同行・・・1799~1871、香川県出身。妙好人の一人。妙好人とは、念仏者をほめ称えていう語。浄土真宗の篤信者をいう場合もある。同行とは、同じ仏道修行に励む者という意味。浄土真宗において、心を同じくして念仏の道を行ずるもののこと。

 
やっぱり最後は自宅で迎えたい、というお考えは根強い気がしますが、この頃は病院で臨終を迎えることが普通、と言ってもいいような時代になりました。
寺への第一報も病院から電話をかけてくださることが多いです。けれども、その次の行動が以前と少々変わってきたようです。以前ならばまず、故人が長年暮らしたご自宅へ連れて帰ろうとなるのですが、この頃は病院からお葬式をする専用ホール等へ直接、故人を移動されることが多くなってきました。
その理由には住宅事情や、故人が一人住まいだったことや、長らくの施設での暮らしであったことなど、昔と状況が変わってきたことがあげられると思います。
住職としては一度お家に帰られて、長年お参りなられたご自宅の阿弥陀様にお礼の一つも申されるといいのではと思うのですが・・・。

それはともかくとして、庄松さんは往生の場所を問題にするのでなく、往生そのもの、お浄土に生れることが問題であったはず。そして、阿弥陀様のおはたらきによって浄土に生れさせていただくことを疑うことなく、阿弥陀様に抱かれてお念仏を称える日々の暮らしに喜びを感じておられたのではないでしょうか。場所にこだわるというのは実は、「生」への執着の表れであるのかもしれません。その場所を問題にしないことが、「生死」を超えたことに繋がるのだと思えるのです。