2020/01/01

 宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。
 お参りできる場所があることの安心は大きいと思います。新たなご仏縁に感謝いたします。  合掌


春には境内の桜が見事に咲きます
 

2019/01/01

《 謹 賀 新 年 》

2019年、明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
有難うございました。
本年も引き続き、
どうぞよろしくお願いいたします。

昨年は当寺発行の『宗圓寺報』(年3回発行)が100号、『ぎんなん文集』(年2回発行)が50号となり、いずれも記念号を発行しました。

2016年秋に開設しましたこのホームページも満2年を過ぎ、3年目に入ることになりました。

いずれも内容的には十分なものではありませんが、継続しながら少しずつでも充実したものにしてゆきたいと思っております。
どうぞ、引き続きのご指導とご鞭撻をお願いいたします。

そして、1991(平成3)年再建の本堂が、2021年秋には再建30周年を迎えます。
現在、その記念法要と記念事業を計画中です。
いよいよ、本腰を入れて進めなければならない時期となりました。
こちらにつきましても何かとお力添えをお願いいたします。

なお、記念といえば、住職の趣味を皆様に押し付けている「住職のレコード棚」コンサートが今年で10回目となります。
記念となるような特別なことはできませんが、10回目を迎えることに感謝しております。

昨年好評だった「新栄しだれ桜まつり」は、主催者の都合により今年は開催されません。大変残念なことですが、来年に期待しています。

                                              合掌

                                     2019年 元旦  住職


今月の言葉(2019年1

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「如来誓願の薬は よく智愚の毒を滅するなり」 
                     (親鸞聖人著『教行信証』より)

現代語訳
如来の誓願は、自力のはからいである智慧の毒も愚痴の毒も滅するのである。

愚痴の毒は滅した方がいいと思いますが、智慧も
滅した方がよいものなのでしょうか。そもそも智慧が毒なのでしょうか。智慧といえば仏様の智慧であり、知恵は普通の私どもの生活上の知恵と思っていました。
現代語訳を見ると「自力のはからいである智慧」ですから、仏様の智慧ではないらしい。しかも、注(下記)にあるように、「自力のさかしい智慧」であれば、所詮自分が身につけた程度の智慧であろうし、それなりの努力をした上での智慧だろうから、どうしても自分が努力したことにとらわれ、恐らく「さかしい」智慧なのに「絶対正しい」と思い込むような自己中心の智慧であろう。そうなると、その智慧の毒も取り除いてもらわないといけないのでしょう。

※如来誓願・・・如来は真如より現われ来った者、あるいは真如をさとった者の意で仏のこと。誓願は、目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意志のこと。ここでは阿弥陀如来が如来(仏)になるの菩薩であった時に、すべての人々を救おうと建てた願のこと。
※智愚の毒・・・自力のさかしい智慧の毒や、愚痴(おろかさ。真理に対する無知)の毒。
※教行信証・・・浄土真宗の宗祖親鸞聖人の主著



今月の言葉(B)

「科学は自然への問いかけ 宗教は自己への問いかけ」
                        (ウィルス学者 東昇師

学生時代に師の「力の限界~自然科学と宗教」という本を読みました。45年ほど前のことですから、その内容は詳しく憶えていないのですが、科学に限界がありそうだということは何となくインプットされたような気がします。
その頃からでしょうか、新幹線ができたから親の死に目に遭える人がかつてよりきっと多くなったはずだ、と考えられそうだけど実はそうでもないのでは、と考えるようになりました。
親の死に目に遭いたいと思う人は限りがありません。3時間では実家に戻れず間に合わなかった人が2時間で戻れて間に合い、よかったよかった。でも、2時間では間に合わない人は1時間半で戻りたい。・・・別の人は1時間で戻りたい、さらに別の人は30分で戻りたい。もともと3時間もかかっては無理だと諦めていた人に、遭えるかもしれないという「願いや欲望」が生ずるようになります。しかし、いくら高速の新幹線ができてもすべての人が間に合うようにはなりません。
感情的なことは横に置きますが、「諦める」は実は「あきらかにすること、道理がわかること」のようです。新幹線はその「あきらかにすること」についての解決には残念ながらならない、と思うのです。新幹線は死を受け入れることについての解決には寄与できません。
つまり、科学(技術)は私たちの願いや欲望をどれだけか(時には非常に多く)満足させることができますが、究極的な解決策を提示することはできないと思うのです。
科学(技術)を否定するつもりはまったくありませんし、有効な面が多数あることは誰もが認めるところでしょうが、科学では解決できないことがあるのだと思えるのです。

※東昇・・・ひがし・のぼる、鹿児島県出身、1912~1982。ウィルス学、顕微鏡学の権威で、京都大学名誉教授。国産第1号の電子顕微鏡の製造者として知られるほか、浄土真宗の信仰を拠り所に仏教書を著わしたり、仏教に関する講演をしたりした念仏者であった。


2018/12/01

今月の言葉(2018年12

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「自然じねんというはもとより
   しからしむるという言葉なり」 (親鸞聖人著御消息より)

現代語訳
「自然」というのは、もとよりそのようにあらしめるという言葉です。
(つづいて・・・「自然」ということについて、「自」は「おのずから」ということであり、念仏の行者のはからいによるのではないということです。「然」は「そのようにあらしめる」という言葉です。「そのようにあらしめる」というのは、行者のはからいによるのではなく、阿弥陀仏の本願によるのですから、それを「法爾ほうに」というのです。「法爾」というのは、阿弥陀仏の本願によってそのようにあらしめることを「法爾」というのです。)

※自然[じねん]・・・一般的には人為的なものに対して、人為をからず、自ずからそうなっていること。この場合は「自[おの]ずから然[しか]り」と読む。親鸞聖人は「自ずから然らしむ」と読み、人間のはからいを超えた阿弥陀仏のはからいによる救いをあらわす語とした。

※御消息・・・手紙や手紙の形式をとった法語などのこと。


今月の言葉(B)

「他力他力と思うていたが思う心がみな自力」
                          (加賀 森ひな師


上の言葉に「ああ、恥ずかしい南無阿弥陀仏」と続く。
先月の『今月の言葉』は「ありがたいこっちゃ もったいないこっちゃ はずかしいこっちゃ なんまんだぶ」でしたが、それに通ずるお言葉だと思います。
私を見捨てずにはおかない阿弥陀様に抱かれていることを知った時、自分に都合よくしか見られないわが姿を、素直に赤裸々な我が姿として見ることができるのでは。そんな時、「ああ、恥ずかしい南無阿弥陀仏」となるのではないでしょうか。
どこまでも「我」を離れることのできない自己中心の私、「他力」を知ってそうだそうだと思っているうちにいつしか「他力」を自分を守る鎧よろいにしてしまう私。

※森ひな師・・・1887年、石川県生まれ。現代の妙好人の一人で、「鈴木大拙選集」にも取り上げられている。
「自分のひと思いも自分ではない、仏様のおはからい」と言う。自分のはからいの尽き果てたところに親さまに遭えたといって南無阿弥陀仏のよろこびが次々と綴られている。



2018/11/30

《11月23日報恩講、無事勤まる》

11月23日、今年の当寺報恩講法要が無事勤まり、ホッとしているところです。
連休のせいか、若干参詣者が少なかった気はしますが、皆さん熱心にお参りくださいました。
献花献灯をしてくださいました7人の小学生の皆さんは、多治見や稲沢と名古屋市外から遠方の参加者が多く大変感激しました。どの参加者も午前のリハーサル中は緊張し過ぎてか、ややぎこちない動作でしたが、本番は多くの参詣者の視線を一身に浴びながら、落ち着いて見事に献花献灯をしてくださいました。来年も多数の参加者を期待したいです。
ご講師渡辺先生(四日市・善正寺住職)はいつも最後に歌を歌ってくださるのですが、今回は「しんらんさま」。同曲は前住職が好きだった島倉千代子が歌っていた歌です。彼女のきれいな声が素敵でしたが、渡辺先生の男性にしては澄んだ高いお声も素敵でした。

今年の献花献灯の皆さん

 
参詣者の皆さん
中央右奥に座る住職は、親鸞聖人座像の前でお焼香をしてお参りしている


 



2018/11/01

今月の言葉(2018年11

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「聞というは如来のちかいの御なを信ずともうすなり」 
             (親鸞聖人著『尊号真像銘文』より)

現代語訳

(「聞名欲往生」ということについて、)「聞」というのは、阿弥陀仏の本願に誓われた名号を信じるということであり、(「欲往生」というのは、安楽浄土に生れようと思えということである。)


※如来・・・真如より現れた来った者、あるいは真如をさとった者の意。で、仏のこと。ここでは阿弥陀如来のこと。
※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。
※名号(御な)・・・一般にはすべての仏・菩薩の名前をいう。浄土教では。とくに阿弥陀仏の名を指す。
※『尊号真像銘文』・・・親鸞聖人がその当時に本尊として安置された名号や祖師の絵像の讃文を解説されたもの。



今月の言葉(B)

「ありがたいこっちゃ もったいないこっちゃ はずかしいこっちゃ なんまんだぶ  (郡上八幡の善太郎師

阿弥陀如来がわれわれを救わんがために用意してくださったお名号(南無阿弥陀仏)、そのことを知らされた時、気づいた時、もとい、何もりっぱなことができず、我を張るばかりで実は迷惑ばかりをかけている「私」こそを救わねばならないと「なまんだぶ」を届けてくださったと知らされた時、「ありがたいこっちゃ もったいないこっちゃ はずかしいこっちゃ なんまんだぶ」。
せっかく知らされたのに、「まさか私を助けてくださる?、いやいや人に言われなくても、助けられなくても、少しくらいなら自分にもできる。もうちょっと頑張れば人並みのことはできますよ。もう少し時間を頂戴」、てなことでは心から「なんまんだぶ」は出ないのだろうな。


※郡上八幡の善太郎・・・この方のことは少々調べてみたけれど、まったくわかりませんでした。今月の言葉(A)と同じ、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」で発見してこの度掲載しました。



《 報恩講法要とは 》

報恩講法要は浄土真宗門徒にとって、1年中で最も大切で、親しみ深い法要です。浄土真宗み教えを明らかにしてくださった宗祖・親鸞聖人のご命日に営む法要だからです。聖人は弘長2年(1262)11月28日、90歳の生涯を京都で閉じられました。そして聖人ののこされたお徳をしのんで毎月28日に門徒たちによってお念仏の集まりが行われるようになりました。これがさらに大きく広がって、本願寺3世の覚如上人によって法会[ほうえ]の基本となる形ができあがりました。



《11月23日は報恩講》

どうぞ、どなたでもお参りください。

11月23日には真宗寺院で最も大切な法要である報恩講法要を営みます。法要に先立ち、次の三つのことをお願いしたいです。

①荘厳奉仕[しょうごんほうし]
法要を迎えるにあたって、本堂内の仏具の‟おみがき”や本堂・境内の清掃など、荘厳奉仕にご参加ください。

 日時 11月22日(火) 
     午後1~3時
     直接寺においで下さい

【写真の輪灯などを美しくおみがきしていただきます】


②お華束[おけそく]作り
法要当日に仏様や宗祖親鸞聖人にお供えします、‟お華束”を作ります。お華束は小さなお餅をたくさん作って(約1,500個)、ブロック塀を作るようにそれらを互い違いに積み上げて円柱状にします。餅には彩色します。かなり手間のかかる作業ですから、多くの方のご協力が必要です。ご都合のつく時間だけでも結構です。ぜひご協力をお願いします。

 日時 11月22日(火)・23日(祝・水) 
     いずれも午前9時より 
     直接寺においで下さい

【写真は親鸞聖人にお供えされた一対の“お華束”】


③献花献灯衆募集
11月23日の法要当日、仏様にお花やお光(灯)をお供えいただきます。主に小学生の方にお願いしています。

詳しくはこちら→《献花献灯衆 募集要項》


2018/10/02

今月の言葉(2018年10

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「煩は身をわずらわす 悩はこころをなやますという」 
             (親鸞聖人著『唯信鈔文意』より)

現代語訳

「煩」は身をわずらわせるということであり、「脳」は心をなやませるということである。


※煩悩・・・梵語クレーシャの意訳。惑とも意訳する。衆生はこうした煩悩によって業を起こし、苦報を受けて迷界に流転(輪廻)する。そのため、煩悩を滅したさとりの境地にいたることが仏教の究極的な実践目的とされる。

※業・・・梵語カルマンの意訳。広い意味での行為、
結果を引き起こすはたらきをいう。仏教では、それ以前の宿業論的な業の働きではなく、様々なご縁によって成り立つ自己ととらえ、運命的・固定的に自分の存在を考えない。

※輪廻・・・梵語サンサーラの意訳。流れるの意味。車輪が回転してきわまりないように、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天)の迷いの世界を生まれ変わり死に変わりし続けること。

※『唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』・・・宗祖が、同じ法然門下の先輩にあたる聖覚の著わした『唯信抄』について、その題号および引用された経釈の要文に註釈を施したものである。



今月の言葉(B)

「いくたびか お手間かかりし 菊の花 
                               (加賀 千代女師)

平面的に読めば、菊がりっぱな大輪の花を咲かすまでには小さい鉢から大きい鉢へと段々と植え替え、いろんな肥料をやり多くの手間がかかるということでしょう。けれども実は、この見事に咲いた大輪の菊の花を眺めて、自分自身のことを味わっていらっしゃるのです。だから「お手間」なのですね。自分が菊作りのために手間をかけたというだけではなくてこの自分が、今の本当に疾風怒濤波乱万丈の人生の果てにようやくこの安らぎをいただきました。いろんな人、有縁の方々、そして仏様のご縁に遇ってようやくこの安らぎの心境を頂戴しました。そういう感動の句です。
以上は、『ぎんなん文集』50号(昨年11月23日の当寺報恩講での渡辺悌爾先生の法話を収録)より要約

※加賀千代女・・・石川県出身、1703~1775。江戸時代で最も有名な女性俳人。法名素園。石川県白山市の真宗大谷派聖興寺には千代女記念館「遺芳館」や千代尼塚があるので、その寺のご門徒であったのだろう。「朝顔に釣瓶とられてもらいひ水」の句が有名。



《 “AMD48” をご存知?》

“AKB48”ならぬ“AMD48”をご存知ですか。住職が勝手に命名したのですが、AMiDa48、つまり『仏説無量寿経』にある阿弥陀仏の「四十八願」です。浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏が仏になる前の修行中、48の誓願を建て、その願いが実現しないうちは仏にならないと誓われました。“本願”といわれる18番目の願(第十八願)が特に重要で、「すべての人をお浄土に生まれさせる」と誓われた“願”です。