2020/01/01

 宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。
 お参りできる場所があることの安心は大きいと思います。新たなご仏縁に感謝いたします。  合掌


春には境内の桜が見事に咲きます
 

2018/07/01

今月の言葉(2018年7月

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「雑毒の善をもってかの浄土に回向する
  これ必ず不可なり」  (親鸞聖人著『浄土文類聚鈔』より)

現代語訳
この毒のまじった善を回向しても、阿弥陀仏の浄土に往生することはできない。

※回向・・・ここでは自力の回向のこと。行者が自ら修める善根の功徳をふり向けて浄土へ往生しようとすること。
※浄土文類聚鈔・・・浄土三部経と龍樹・天親・曇鸞・善導の論釈を引いて、浄土真宗の要義を記している。
※浄土三部経・・・仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)のこと。浄土真宗の正依の経典。




今月の言葉(B)

「どこに居ても寝ておる所が極楽の次の間じゃ
                        (讃岐の庄松師)

※讃岐の庄松同行・・・1799~1871、香川県出身。妙好人の一人。妙好人とは、念仏者をほめ称えていう語。浄土真宗の篤信者をいう場合もある。同行とは、同じ仏道修行に励む者という意味。浄土真宗において、心を同じくして念仏の道を行ずるもののこと。

 
やっぱり最後は自宅で迎えたい、というお考えは根強い気がしますが、この頃は病院で臨終を迎えることが普通、と言ってもいいような時代になりました。
寺への第一報も病院から電話をかけてくださることが多いです。けれども、その次の行動が以前と少々変わってきたようです。以前ならばまず、故人が長年暮らしたご自宅へ連れて帰ろうとなるのですが、この頃は病院からお葬式をする専用ホール等へ直接、故人を移動されることが多くなってきました。
その理由には住宅事情や、故人が一人住まいだったことや、長らくの施設での暮らしであったことなど、昔と状況が変わってきたことがあげられると思います。
住職としては一度お家に帰られて、長年お参りなられたご自宅の阿弥陀様にお礼の一つも申されるといいのではと思うのですが・・・。

それはともかくとして、庄松さんは往生の場所を問題にするのでなく、往生そのもの、お浄土に生れることが問題であったはず。そして、阿弥陀様のおはたらきによって浄土に生れさせていただくことを疑うことなく、阿弥陀様に抱かれてお念仏を称える日々の暮らしに喜びを感じておられたのではないでしょうか。場所にこだわるというのは実は、「生」への執着の表れであるのかもしれません。その場所を問題にしないことが、「生死」を超えたことに繋がるのだと思えるのです。

2018/06/27

《「夏休み・親子で寺参り」開催、 ご参加ください》

・ お念珠はどうやって持つの?  ・ お焼香は何回するの?
・ お経って何だ? 一度よんでみようか  ・ 仏さまってどんなお方?
 
 
写真左は昨年の「親子で寺参り」、
右と下は報恩講(2016/11/23)の献花献灯をしてくださった方のお参りのようす
 
 

子どもさんがお寺にお参りする機会がなかなかないようです。
また、意外とお父さん、お母さんも寺参りの機会が少ないですね。
夏休みの1日、ぜひ、親子でお寺にお参りください。お孫さんとでも結構。
要するにどなたでも。中・高生なら、一人での参加も可。
お父さんやお母さん(おじいさんやおばあさん)が子どもの時、
きっとどなたかに連れられて寺参りをなさったと思います。
今度はあなたが子どもさんやお孫さんを連れて、寺参りをする番だと思います。
この頃よく思うのですが、手を合わせることのできる子と、
そうでない子とどちらが幸せになるのだろうか。
どちらが愛される子に育つのだろうか。
前者のような気がしてなりません。

それでは、参加をお待ちしています。
なお、大人一人での参加も歓迎です。
意外と正式なお参りの作法をご存じないのではないですか。
この際、童心に帰ってお参りの復習をしてみませんか。
                                                                                                        宗圓寺 住職

◇日時 2018年7月21日(土)  午前9時~11時


◇場所 宗圓寺
 
◇対象 親子(お孫さんも) 大人も含めてお一人での参加もOK
 
◇持参 念珠(お数珠)、筆記具、門徒式章(持っている人だけ)
           ※念珠がない人は寺に連絡してください


◇参加費 1人500円(当日持参)

※予約不要、当日直接寺へどうぞ

※昨年の参加者は一家族3人さんでした。さて今年は?
 
<連絡先> 浄土真宗本願寺派(西本願寺) 宗 圓 寺(そうえんじ)
  名古屋市中区東桜2-18-19 〒460-0005 TEL052-931-6051
  Eメール 
soenji.sinsyu@gmail.com

  

2018/06/08

第9回 「住職のレコード棚」コンサート 満員御礼

6月5日(火)に当寺ホールで開催しました第9回「住職のレコード棚」コンサートは、お陰様を持ちまして今までで最多の来場者に来ていただき、2時間、約20曲をお楽しみいただきました。

コンサートの様子(撮影:誓安院ご住職渡邉澂雄師)

来場者は当寺のお檀家様や住職の知人のほか、近所の方、近くの会社勤務の方など、ポスターやHPで知ってお越しいただいた方もたくさんいらっしゃったようです。こんなに多数の方に来ていただき、住職にとっては、一体何が起こったのだろう、と思うほどの嬉しさを超えた驚きもありました。用意していた席、プログラムでは足りず、一部の方にはご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。

そんなことで、お一人お一人にきちんとご挨拶もできず、行き届かない所が多々あったと思います。何かと失礼の段、お許しください。

さて、今回のテーマは「どこかで聴いたあの名曲」。相変わらず住職好みの懐かしめの曲が中心でしたが、テレビ番組やCMなどで聴けるものが多数ありました。

下に、お聴きいただいた方からのメールの一部を引用させていただきますからどうぞ、当夜の様子をご想像いただきたいと思います。

・・・40名を超える参加者で大盛況でしたね。10周年に向けて大きな手応えを感じました。曲に拍手が起きたり、ご住職の解説に笑いが起きたり、参加者の反応が大きく、一体感が凄かったです。「アメリカ」(ドヴォルザーク作曲の弦楽四重奏曲、住職注)の冒頭がコンビニの入店時の音に聴こえるのには驚きました。解説後に再度聴かせたご住職の見事な作戦でしたね。大爆笑でした。赤い鳥のコカコーラも良かった。選曲と構成もなかなかパンチがあってよかったです。忘れていた曲との出会いもあって楽しかったです。・・・

それにしても「夢」のような一夜でした。この「夢」はお聴きいただいた方には、ある深い意味があります。どうぞ皆様の胸にしまっておいてください。

ご来場いただいた皆様のお陰でとてもよいコンサートになりました。有難うございました。ご都合が合えばぜひ、来年の第10回にもお越しください。合掌   住職

2018/06/01

今月の言葉(2018年6月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「自力の御はからいにては
     真実の報土へ生るべからざるなり
                    (『親鸞聖人御消息』より)

現代語訳
自力のはからいでは、真実の浄土に生れることはできないのです。

※自力・・・他力に対する語。自ら修めた善根によって迷いを離れようとすること。
※真実の浄土・・・阿弥陀仏の因位の誓願と修行により成就された浄土(報土)。第18願の他力念仏の行者が往生する浄土をいう。
※因位・・・菩薩(さとりを求めて修行する者)が仏のさとりを開くために願をたてて行を修めている間をいう。阿弥陀仏の因位の名を法蔵菩薩という。
※第18願・・・阿弥陀仏が仏になるための修行中に誓われた、すべての人々を救うと誓われた48の願いの中の18番目の願い。『仏説無量寿経』に「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、私の国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、私は決してさとりを開きません」とある。


今月の言葉(B)

「信を得るというはハイというまでのことでありますげな
                        (三河 鈴木その師)

三河のおそのさん(1777~1853)は、三河渥美郡田原の生まれ。3才の長女が野良犬にかみ殺されたことを機縁に仏法を真剣に聴くようになったと言われる。「げな」は三河弁?

「ハイ」と言うまでにどれほどの苦悩があったのだろう。どれほどの自己否定があったのだろう。どれほどの聴聞があったのだろう。きっと「ハイ」と言えない自分との格闘が長く続いたのだろう。けれど単純にその苦悶の延長線上に「信」があったのではないだろう。ある瞬間、苦悶・格闘を飛び越えて「信」に至った。だからこそ、「ハイというまでのこと」とあっさりと言えるのではないだろうか。

飛行機は長い滑走路を走り、ある一瞬で離陸する。離陸前は機体の小さな窓からほんの僅かな景色と自分の足元しか見えなかったのに、離陸したら広い大地も広い空も見ることができる。「信を得る」とは、そういう目にする景色の変化があるような気がする。

ただ、自分の意志・意識として「信じる」姿勢においては、景色の変化はなく、より自分の視野のみを注視することになるような気がする。阿弥陀様は私の「信心」までも用意してくださっている。


2018/05/01

今月の言葉(2018年5月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「かの如来の本願力を観ずるに
    凡愚[もうお]うて空しく過ぐるものなし
                    (親鸞聖人作『入出二門偈頌』より)


現代語訳
阿弥陀仏の本願のはたらきに遇っものは、愚かな凡夫であっても、いたずらに迷いの生死を繰り返すことはない。

※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。
※本願力・・・本願にかなって成就された人々を救う救済のはたらき。

本願力に出遇い、お救いの確かさに安心して私たちは不安な日々を迷いながらも暮らすことができるということでしょう。しかも、愚かな私であっても、いや、愚かな私だからこそ、のお救いです。



今月の言葉(B)

「ひまがないとは気がないことよ
       参る気がありゃひまもある
                         (肥後 平島キク師)

上の「今月の言葉(B)」と同じ法語カレンダーの1986年版で見つけた言葉ですが、平島氏については調べても残念ながらどんな方なのかわかりませんでした。

この言葉、誠にその通りと思います。怠惰な私にはとても耳に痛いです。
「いつやるか?今でしょ!」とはなかなかいきません。

永代経法要講師の橋本先生は法話の中でかつて、「忙」とは「心(立心偏)を亡くす」ことと教えてくださいました。「忙しい」は大方、心に余裕のないことを指していると思いますが、ある時は「忙しいこと」が歓迎され、別の時は勘弁してほしい、と使われ方はいろいろです。

そんな中、忙しくしていると何となく充実している気分になることがあります。実は、要領が悪くて仕事が溜まっただけかもしれませんが・・・。ともかくいずれ心を亡くすことになることも知らず、その充実感が自分が正しいことを一生懸命している、自分の行動は間違っていないことの証しと思い違いをし、独りよがりで反省の余裕のない人間にしていることがあるような気がします。というよりも毎日毎日そういう暮らしをしていると言った方が正しい気がします。そして、そういう時に限って、身の回りで誤解やトラブルが起こります。当然です。知らず知らずに自分本位になっているのですから。従ってそのトラブルの原因は自分自身にある、ということがこれまた日常の真実のような気がしています。

 

4月29日 永代経法要、無事勤まる


お天気に恵まれ、今年度の当寺永代経法要を無事に勤めることができました。
前日のご門徒方による荘厳奉仕のお陰で、いつものように仏具はピカピカに磨かれ、手間のかかる「お華束」も1,500個近くの小餅を作って積み上げられてゆきました。ご奉仕の結晶です。(画像上の左下に1対の「お華束」)

ご本尊の阿弥陀様の左側には、過去からの永代経志を進納してくださった方々の法名が記載された法名軸が三幅が掛けられています。(画像上)

連休中の1日であったためか、例年より参詣者が少なかったのが残念でしたが、参詣者全員で唱和する「正信念仏偈」はいつもより大きく、澄んだ声が堂内に響きました。ご法中のお寺様が4名お参りくださいました。(画像下)

勤行(お勤め)は、三奉請・表白・仏説無量寿経から四十八願・念仏・正信念仏偈、そして讃仏歌「聖夜」です。

法話も例年と同じ、遠方(香川県坂出市)から光耀寺住職橋本朗仁先生をお迎えしました。先生は住職の大学からのごく親しい友人です。

2018/03/31

今月の言葉(2018年4月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「回心えしんというは
  自力の心をひるがえし すつるをいうなり
                    (親鸞聖人作『唯信鈔文意』より)

※回心・・・①悪心を改めて仏の教えに帰すること。②自力の心を捨てて本願他力に帰すること。
ここでは当然、②である。カイシンと読めば、自分の罪を悔い改めて正しい信仰に入るというような、キリスト教的な意味が強くなると思われる。
※自力・・・自ら修めた身・口・意の善根によって迷いを離れようとすること。他力に対する語。
※他力・・・阿弥陀仏の本願のはたらきをいう。
※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。
※『唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』・・・宗祖が、同じ法然門下の先輩にあたる聖覚の著わした『唯信抄』について、その題号および引用された経釈の要文に註釈を施したものである。



今月の言葉(B)

「この源左はいっち悪いでしあわせだがやぁ
                      (島根県 因幡の源左師)

「浅学菲才の私」「何もできない私」「私のような者が・・・」はよく口にする言葉ですが、どれも「私」を「お前」に代えて他人から言われたら冷静ではいられません。言葉の上ではいくら謙虚であっても、心底自分の至らなさを認めることはとても難しいです。そういう自分に気づかしてくれる存在、自分の物差しとは違う別の物差しを当ててくださる存在を持つことは非常に大事だと思います。
以上は3月「今月の言葉」のところで書いたことですが、「いっち悪い」は上のようにへりくだった表現としてならばまだ言える言葉かもしれません。けれど、次に「しあわせだがやぁ」とおっしゃる。これはどういうことだろか。
「出来の悪い子ほど可愛い」もよく言う言葉ですが、これはそういう子ほど親としては何とかしてやらねば、親の責任で常に見守ってやらねば、という親心の表れでしょう。阿弥陀様のことを親様と呼ぶ理由がこんなところにありそうです。
源左さんは、そんな親様に抱かれていることに気づき、感謝されているのではないでしょうか。

源左さんは「因幡の源左いなばのげんざ」で知られる、妙好人のお一人。天保13(1842)年生まれ、本名足利喜三郎。14歳の頃、土地の習慣により源左衛門と称するようになる。18歳の時、父が急死するが、「おらが死んだら、親様をタノメ」という臨終の言葉をきっかけに聞法に励む。入信は30歳ころといわれる。