2020/01/01

 宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。
 お参りできる場所があることの安心は大きいと思います。新たなご仏縁に感謝いたします。  合掌


春には境内の桜が見事に咲きます
 

2019/09/12

《秋・お彼岸の墓地出張 ご案内》

秋・お彼岸の墓地出張(平和公園内宗圓寺墓地への出張)は下記3日間です。
ぜひ、出張中にお参りください。

 9月 22日(日)
 9月 23日(月  秋分の日  お中日) 

   ・・・・・22日と23日は、いずれも午前7時より正午まで、雨天中止
   ・・・・・住職と法務員の二人で出張します

 9月 15日(日)
     
   ・・・・・15日は午前9時から11時半まで、雨天中止
   ・・・・・法務員一人が出張します

   ※ご自宅でのお彼岸のお勤めについては直接、寺までご連絡ください。

2019/09/01

今月の言葉(2019年9

※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
   (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
※2019年1月より、A3用紙に仏教に関する内容を簡単にまとめ、「A3仏教」と名付  けて上記掲示板に掲示することにしました。若干手を加える場合がありますが、ここにも掲げることにします。



今月の言葉(A)

「わがこころよければ往生すべしとおもうべからず」 
                                              (親鸞聖人御消息より)


現代語訳 

自らの心が善いから、往生することができるはずだと思ってはなりません。

(原文より前後を引用)
・・・「他力においては義のないことをもって根本の法義とする」と、法然上人は仰せになりました。「義」というのは、はからうという言葉です。行者のはからいは自力ですから、「義」というのです。他力とは、本願を疑いなく信じることで間違いなく往生が定まるのですから、まったく「義」はないというのです。

ですから、この身が悪いから、阿弥陀仏が迎え取ってくださるはずがないと思ってはなりません。凡夫はもとより煩悩を身にそなえているのですから、自分は悪いものであると知るべきです。また、自らの心が善いから、往生することができるはずだと思ってはなりません。自力のはからいでは、浄土に生れることはできないのです。

※法然上人・・・浄土宗の開祖(1133~1212 美作現在の岡山県に生まれる)。親鸞聖人は法然上人に出遇い、その教えを聞いて専修念仏の仏門に帰した。

※専修念仏[せんじゅねんぶつ]・・・専ら称名念仏を修すること。称名念仏は一般には仏や菩薩の名号(名前)を称えることだが、浄土教では特に阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)を称えることをいう。親鸞聖人は、称名とは本願にはたらきが衆生の口に現われ出てきたものであることを明らかにした。

※御消息・・・手紙や手紙の形式をとった法語などをいう。親鸞聖人の御消息は43通が知られている。


今月の言葉(B)

「仏法を聞くとは
        ありがたい話を聞くのではなく
                ありがたい事実にめざめること
                                              (真宗僧侶 佐々木蓮麿師

毎年当寺では春の永代経法要と秋の報恩講法要で、講師をお迎えして法話をいただいております。(お話の全ては後日、『ぎんなん文集』に収録してご門徒方に配布)

2016年の報恩講法要ではご講師の渡辺悌爾先生がこういうお話をしてくださいました。

私たちが人のいのちをいただくということは、一億円の宝くじに連続して百万回当たるようなものだ。

村上和雄という遺伝子のDNAを解明した先生の言葉だそうです。さらに、

ニワトリさん ごめんなさいと謝(あやま)って 保育園児の孫卵取る

という短歌を紹介してくださいました。あるところでの入選作だそうです。
いずれも「なぜ、いのちが尊いのか?」というテーマでのお話しでした。

※佐々木蓮麿ハスマロ・・・滋賀県生まれ、1896~1978。真宗大谷派(東本願寺)僧侶。


 《法事の会食》 …「A3仏教」2019.9

ご法事とは亡き人を偲び、亡き人をご縁にして、私自身がお念仏(一般的には仏様の教え)に遇わせていただく喜びの場です。だから、読経が飲食の前置きであるというのは「?」ですね。

でも、法事の意義さえ見失わなかったら、家族・親族が久しぶりに集合しての楽しい会食(ご法事後の食事をお斎ときと呼びます)は、亡くなった方を中心とした生命のつながりを実感でき、「みんな仲良く、力を合わせて暮らしてくれよ」と願っていてくださるご先祖の意に叶うはずです。


ですから、会食自体も実はご法事での重要な意味を持つものと思います。同時に、その食べ物になってくださった尊い生命に感謝する場にしたいものです。

2019/08/18

今月の言葉(2019年8

※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
   (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
※2019年1月より、A3用紙に仏教に関する内容を簡単にまとめ、「A3仏教」と名付  けて上記掲示板に掲示することにしました。若干手を加える場合がありますが、ここにも掲げることにします。

《お詫び》
何を勘違いをしていたのかわかりませんが、「今月の言葉」の7月分を下書き状態のままで公開するのを忘れていました。そこで、7月分を8月中頃まで公開し、その後8月分を公開することにしました。
お見苦しいことで申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いします。


今月の言葉(A)

「涅槃の真因はただ信心をもってす」 
                (親鸞聖人作『教行信証』より)


現代語訳 

さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである。

・・・阿弥陀仏の第18願には「至心・信楽・欲生」の三心が誓われているけれども、なぜ天親菩薩は「一心」と言われたのだろうか、という問いに対して、

「愚かな衆生に容易にわからせるために、さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである」と答えておられるのだ。

天親菩薩は至心・信楽・欲生の三心は信楽の一心におさまる(三心即一心)といわれた。

※涅槃[ねはん]・・・さとりの境地のこと。梵語ニルヴァーナnirvãnaの音訳。滅度・寂滅などと意訳する。すべての煩悩の火が完全に吹き消された境地のことで、仏教の最終的実践目的。
※阿弥陀仏の第18願・・・阿弥陀仏の48願中の第18願。つまり阿弥陀仏が、「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」と誓い願われたこと。
※五逆・・・5種の重罪。父を殺す、母を殺す、阿羅漢の聖者を殺す、仏の身体を傷つけて出血させる、教団の和合一致を破壊し分裂させる。
※三心・・・至心[ししん]・信楽[しんぎょう]・欲生[よくしょう]。三信ともいう。
※至心・・・まことの心。真実の心。
※信楽・・・阿弥陀仏の本願(それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなう願い、誓願ともいう)の生起本末を聞いて疑いのない心。他力信心のこと。
※欲生・・・阿弥陀仏のの浄土に往生しようとおもう心。
※教行信証・・・親鸞聖人の主著。「本典ほんでん」ともいう。日頃お勤めして親しんでいる「正信念仏偈」はこの著書の中の偈文。


今月の言葉(B)


「自分が悲しいのと
  自分を悲しむというのでは
    天地のちがいがある
          (医師 米沢英雄師

悲しいのは 死ぬことではなく
悲しいのは 人生でもなく
悲しいのは 私だからです

悲しいのは 私がいるために
悲しいのは 私であるために
悲しいのは 私自身だから

(詞:岡本おさみ 曲・歌:吉田拓郎 1976年 部分)

「悲しいのは」という拓郎の歌があった。いかにも悲しいような、しみじみとした歌唱ではなくテンポのかなり速いラテン系のノリの歌である。
若い時はフォークのプリンスといわれ、今に至るまで数々のヒット曲を生み、絶大な人気を誇っている拓郎。フォーク界・歌謡界への影響も多大であり、それほどの大御所ではあるが、その割に彼の歌は知識人に評価されない、ということを聞いたことがある。
そんな彼が30歳の頃にこの歌を歌い始めた。(余談だが少し前の1974年、このコンビの作詞・作曲で森進一に「襟裳岬」を提供する)
確かに拓郎自身の作詞ではないが、こういう歌を彼は歌っていたのだ。
米沢師の言葉を見つけて、歌を聞き直してみた。

※米沢英雄・・・福井県生まれ、1919~1991。開業医(医学博士)で浄土真宗の伝道者。浄土真宗に関する著書多数。


 《先祖の祟りはあるのか》 …「A3仏教」2019.8

「この頃の我家の病気や事故は、不幸な死に方をしたご先祖の祟りだ」という方がおられます。
人は弱いのでついついそう思うこともあるし、自分が原因と考えたくないこともあります。
冷静に考えましょう。

私の両親が2人、祖父母4人、曾祖父母8人、10代前なら1,204人です。直系でその数ですから傍系や姻族を含めれば膨大な人数です。
その中に不幸な死に方をした方がいても全く不思議ではありません。例えば、先の大戦、さらに遡って戦国時代のご先祖はどうだったのでしょうか。殺すか殺されるかという厳しい世の中を生きて来られました。
浄土真宗では阿弥陀様のはたらきで誰もが極楽浄土に往生して、仏様になります。さて、あなたは子や孫に祟りますか?

  

2019/08/03

《お盆の墓地出張 ご案内》

ご案内が遅くなりましたが『寺報』103号でお知らせしたとおり、
今年のお盆の墓地出張(平和公園内宗圓寺墓地)は下記3日間です。
ぜひ、出張中にお参りください。

  8月    4日(日) ・ 10日(土) ・ 13日(火) 

  ・・・・・いずれも午前7時より正午まで、雨天中止
       10日は混雑を予想

ご自宅での盆、初盆の法要については直接、寺までご連絡ください。

2019/07/30

今月の言葉(2019年7

※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
※2019年1月より、A3用紙に仏教に関する内容を簡単にまとめ、「A3仏教」と名付  けて上記掲示板に掲示することにしました。若干手を加える場合がありますが、ここにも掲げることにします。


《お詫び》
何を勘違いをしていたのかわかりませんが、「今月の言葉」の7月分を下書き状態のままで公開するのを忘れていたようです。8月分の編集中にはじめて気づきました。
そこで、7月分を8月中頃まで公開し、その後8月分を公開することにします。
お見苦しいことで申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いします。



今月の言葉(A)

「浄土真宗のならいには念仏往生ともうすなり」 
               (親鸞聖人作『一念多念文意』より)


現代語訳
 
浄土の真実の教えでは、念仏往生というのである。(続いて)決して一念往生ということも、多念往生ということもない。


阿弥陀仏が私たちを救おうと「南無阿弥陀仏」を称えなさいとおっしゃる時、それを信ずる者は1回でよいとか、たくさん称えた方がよいとかは思わず、有難さを感じた時はいつでも思わず「ナマンダブ」と声に出してしまう。

※一念多念・・・浄土往生は信心一つで決定する、または1回の念仏だけで決定するとし、その後の念仏を軽視する一念義の説と、一生涯、数多くの念仏を称え、臨終来迎(臨終時に阿弥陀如来がその人を迎えに来ること)をまって浄土往生が決定するという多念義の説。または、両者の論争のこと。親鸞聖人門下でも、この論争は生じた。

※『一念多念文意いちねんたねんもんい』・・・親鸞聖人は、専修念仏は一念多念のいずれにも偏執しない、念仏往生の義であることを明らかにし、この書を著した。法然聖人門下の隆寛著『一念多念分別事』を註釈したものである。『一念多念証文』ともいう。

※念仏往生・・・諸行往生に対する語。阿弥陀仏が私たちを救わんがために、私たちに差し向けた名号(南無阿弥陀仏)を信じ称えて浄土に往生すること。



今月の言葉(B)

「生のみが我らにあらず死もまた我らなり 
                     (真宗大谷派僧侶 清沢満之師


生があるから死が当然ある。不老長寿の薬でも発明されれば別かもしれないけれど。
先月のこのページでは、この頃の法事での喪服(黒い礼服)に拘る方が増えているように書きましたが、その理由はいくつか考えられますが、大きな理由の一つとして法事をなるべく日常とは切り離した特別なものしようという気分があるのではないかと思っています。つまり、法事は死者の行事であり、生きている私いつまでも生きていたい私はなるべく死を日常から遠避けたい。生きている日常と死を分けるために喪(黒)服を着るのではないでしょうか。と考えることがしばしばあります。


※清沢満之[きよざわまんし]・・・1863~1903、真宗大谷派僧侶、名古屋市生まれ。私塾浩々洞を開き、雑誌「精神界」を発刊するなど精神主義運動を展開するとともに、真宗大学の初代学監に就いた。大谷派教学に大きな影響を与えている。



 《 一家に1基、お仏壇 》 「A3仏教」2019.7

お宅にはお仏壇が安置されていますか? 実家にあるから我家はいらない、我家はまだ葬式も出していないからなくてもいい。そう思っていらっしゃる方もきっと、大勢いらっしゃるでしょう。
でも、せめて所帯を持たれたらお仏壇をご用意ください。お宅のご先祖様の時代からからずっと見守っていらっしゃる仏様ですから、あなたも見守ってくださっているのですよ。
新所帯の方に準備する余裕はあまりないでしょうから、親が用意すればいいのです。仏様には失礼な言い方ですが、お雛様や武者飾りに習ってのことでも結構ですから。お雛様や武者飾りよりも教育的価値はあるように思います。しかも、1年に数日の出番だけではなく、毎日ですから。
そんな気持ちから、ちょっと大げさな話ですが、子どもさんが遠くの大学に入学なさって下宿生活(表現が古いですね)されるのならば、そこにもお仏壇を用意するといいですよ。と私はお話ししています。当然大きなものでなくてもいいので、準備されるといいと思います。(右写真は、本願寺で受けられるご本尊。机の上などのわずかな場所に安置できる)





2019/06/11

《第10回記念「住職のレコード棚」コンサート
              ・・・多数の来場者に感謝》

去る6月5日に開催しました「住職のレコード棚」コンサートは、
昨年に続き50名弱の来場者があり、盛況のうちに終了しました。
市外、県外からもおいでいただきました。
12名の来場者だった1回目から考えますと、感慨深いものがあります。

10回記念のテーマは「お寺と坊さん」。
今までで1番抹香臭い内容だったかもしれませんが、
植木等の「スーダラ節」をはじめ、相変わらずの選曲だったと思います。

楽しんでいただきたいという気持ちもかなり持ち合わせていますが、
当初からの❝住職の趣味を押しつける催し❞という姿勢でこれからも企画しますので、
どうぞ今後ともよろしく、お願い申し上げます。合掌

(写真はいずれも、住職の高校時代友人である誓安院住職渡辺澂雄師が撮影)


コンサートの様子
(立って解説しているのが住職)
いただいた10周年祝いのお花 


2019/06/01

今月の言葉(2019年6

※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
※2019年1月より、A3用紙に仏教に関する内容を簡単にまとめ、「A3仏教」と名付  けて上記掲示板に掲示することにしました。若干手を加える場合がありますが、ここにも掲げることにします。

今月の言葉(A)

「無碍の光明信心の人をつねにてらしたもう」 
               (親鸞聖人作『尊号真像銘文』より)


現代語訳
 
(首楞厳院源信和尚の銘文にある「大悲無倦常照我身」を釈して)
何ものにもさまたげられることのない光明は、信心の人を常にお照らしになるというのである。

※何ものにもさまたげられることのない光明・・・仏、菩薩の身心にそなわる光。迷いの闇を破し、真理をさとりあらわす仏、菩薩の智慧を象徴するもの。
※『尊号真像銘文』・・・親鸞聖人がその当時に本尊として安置された名号や祖師の絵像の讃文を解説されたもの。



今月の言葉(B)

「私というものは
   私の思いよりもっと深い意義をもっている 
                     (真宗大谷派僧侶、仏教学者


あるアンケートによると、祖父母は‟家族”ではなくて‟親族”だそうです。確かにそう言えばそうかもしれませんが、生まれた時から現在まで祖父母と一緒に暮らし、子どもから言うところの祖父母(つまり私の両親)と暮らしている者としては違和感のある結果です。祖父母は‟家族”だと思っていました。
時代は変化しますので、その結果についてはこれ以上は触れませんが、‟私”は合計4人の祖父母をはじめ、数えきれないほどのご先祖の存在によって存在していることは事実でしょう。
そのご先祖の願いや思いがこの‟私”にかけられていることも簡単に想像できます。
多くのアスリートたちが、亡き祖父母や両親・コーチ、あるいは応援してくれる人々などの願いや期待に応えようと頑張り、その願いや期待を力に変換して自分の力以上の結果を出している。試合後のインタビューでよく、そのようなことが語られています。

※安田理深[やすだりじん]・・・1900~1982、真宗大谷派僧侶、仏教学者



 《 ご法事の服装 》 「A3仏教」2019.5

A3仏教」はレコードコンサートのご案内のため、5月の掲示が極めて短期間でしたので、今月も引き続き同じ話題を掲示しました。その関係でこちらも5月に引続きおなじものを掲載します。ご了承ください。

この頃、「ご法事にはどんな服装がいいですか?」とよく尋ねられます。実際は黒の礼服(喪服?)にすべきですか、ということのようです。以前は、お葬式や通夜の服装については時々尋ねられましたが、ご法事についてはあまり尋ねられた記憶がありません。
一周忌(あるいは三回忌)までなら悲しみの気持ちから黒(喪服)もいいでしょうが、私どもの宗派では七回忌以降は“赤いろうそく”を用いますからもう、黒は止めて平服にしませんか。結婚式でも礼服は黒だからという方は、ネクタイを白にしませんか。いつまでも悲しみ中心ではなく、仏法に遇う喜びを表現したいです。お浄土に往生されて仏様になられた故人も、それを望んでおられるのでは?
真宗門徒は服の色よりも、❝門徒式章❞【右写真】の着用を心がけたいです。
 なお、喪服は、喪に服する立場の人が着るのが本来ですから、それ以外の方が着用されるのは間違いです。