※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」
(親鸞聖人『高僧和讃』天親讃より)
和讃全文
本願力(ほんがんりき)にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし
現代語訳
本願のはたらきに出会ったものは、むなしく迷いの世界にとどまることがない。あらゆる功徳をそなえた名号は宝の海のように満ちわたり、濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない。
※本願力・・・阿弥陀仏の本願(以前からの願い)にそなわるすべての人々を救おうとするはたらき
※名号・・・一般にはすべての仏・菩薩の名を名号という。浄土教では、特に阿弥陀仏の名を指していう。親鸞聖人は仏の衆生救済の願いが南無阿弥陀仏の六字の名号となって衆生の上に活動しているのあり、摂取して捨てないという仏意をあらわす本願招喚の勅命であるといわれた。
「『モノ』のいのちを いとおしむ心」 (東井義雄師)
ラジオか何かで聞いた話なので本当かどうかわからないのですが、アメリカのどこかに世界中からその人生を終えた飛行機(旅客機)が廃棄される場所があるそうです。もうお客は乗せませんから任務を終えたままの汚れた状態で飛んでくるそうです。ところが、日本の航空会社の飛行機はきちんと掃除がしてあるそうです。立つ鳥跡を濁さずという言葉とは少し情景が違いますが、機体を掃除する作業員の気持ちがよくわかります。
<念珠[ねんじゅ]>
一般には数珠。浄土真宗では念珠ともいい、仏前で礼拝するときに用いる大切な法具です。数珠はもともと念仏の数をかぞえるものと言われてきました。しかし浄土真宗では、煩悩の身をそのままお救い下さる阿弥陀仏を仰ぐ法具として、礼拝のときには必ず両手にかけて合掌します。また、数珠はみ仏を思い起すよすがとなりますので、仏前だけでなく常に身につけ、嬉しいときも、悲しいときも、お念仏することが大切です。数珠を投げたり、人が歩く場所、例えば畳の上などに直接置いたりしないように、ていねいに取り扱いましょう。
普通は単輪念珠(一輪念珠)を用いますが、僧侶が儀式で用いる双輪念珠は108個の珠で作られています。108はご承知のように、除夜の鐘の数であり煩悩の数です。
手にも念珠、心にも念珠をかけましょう。