今月の言葉(2018年7月)
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
今月の言葉(A)
「雑毒の善をもってかの浄土に回向する
これ必ず不可なり」 (親鸞聖人著『浄土文類聚鈔』より)
現代語訳
この毒のまじった善を回向しても、阿弥陀仏の浄土に往生することはできない。
※回向・・・ここでは自力の回向のこと。行者が自ら修める善根の功徳をふり向けて浄土へ往生しようとすること。
※浄土文類聚鈔・・・浄土三部経と龍樹・天親・曇鸞・善導の論釈を引いて、浄土真宗の要義を記している。
※浄土三部経・・・仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)のこと。浄土真宗の正依の経典。
今月の言葉(B)
「どこに居ても寝ておる所が極楽の次の間じゃ」
(讃岐の庄松師)
※讃岐の庄松同行・・・1799~1871、香川県出身。妙好人の一人。妙好人とは、念仏者をほめ称えていう語。浄土真宗の篤信者をいう場合もある。同行とは、同じ仏道修行に励む者という意味。浄土真宗において、心を同じくして念仏の道を行ずるもののこと。
やっぱり最後は自宅で迎えたい、というお考えは根強い気がしますが、この頃は病院で臨終を迎えることが普通、と言ってもいいような時代になりました。
寺への第一報も病院から電話をかけてくださることが多いです。けれども、その次の行動が以前と少々変わってきたようです。以前ならばまず、故人が長年暮らしたご自宅へ連れて帰ろうとなるのですが、この頃は病院からお葬式をする専用ホール等へ直接、故人を移動されることが多くなってきました。
その理由には住宅事情や、故人が一人住まいだったことや、長らくの施設での暮らしであったことなど、昔と状況が変わってきたことがあげられると思います。
住職としては一度お家に帰られて、長年お参りなられたご自宅の阿弥陀様にお礼の一つも申されるといいのではと思うのですが・・・。
それはともかくとして、庄松さんは往生の場所を問題にするのでなく、往生そのもの、お浄土に生れることが問題であったはず。そして、阿弥陀様のおはたらきによって浄土に生れさせていただくことを疑うことなく、阿弥陀様に抱かれてお念仏を称える日々の暮らしに喜びを感じておられたのではないでしょうか。場所にこだわるというのは実は、「生」への執着の表れであるのかもしれません。その場所を問題にしないことが、「生死」を超えたことに繋がるのだと思えるのです。