今月の言葉(2017年3月)
※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
「一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」(親鸞聖人作 浄土和讃より)
和讃全文は、「若不生者のちかひゆゑ 信楽まことにときいたり 一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」。
阿弥陀様は「もしすべての人々がお浄土に生まれることができないようなら、私はさとりを開きません」と本願に誓われています。そして、阿弥陀様は既にさとりを開かれているということは、真実の信心を得たまさにそのとき、本願を信じ喜ぶ人は、浄土に往生することが間違いなく定まる、ということになります。
「見えないところで つながりあって生きているのは つくしんぼだけじゃない」
(東井義雄師)
自分に都合の良いつながりは歓迎するけど、迷惑なつながりはいらない、というのが誰もが思うことでしょう。けれども、私たちは良くも悪くも(あくまで自分の基準での良し悪し)つながり合って暮らしています。
この頃は特に、人の世話にはならない、人に迷惑はかけていない、自分のことは自分で始末をつける、という人が多くなっているように思うのですが(かく言う私も)、迷惑をかけずに生きようと一生懸命に努力することより、迷惑をかけずには生きてゆけないと気づく方が尊いのではないかと思うのです。
〈3月は「落語」の話〉
お説教は“始めしんみり、中おかしく、終わり有難く”がよい、といわれます。その“おかしく”が特化して落語に発展します。“高座”はもともと、本堂でお説教をする1段高い座席のこと。そして、京都・新京極の誓願寺住職安楽庵策伝(1554~1642)が『醒酔笑』(お説教中に、睡眠を醒ます笑い)という本に多くのおかしい話や味わい深い話(短く、最後に“落ち”が付くそうです)をまとめたため、「落語の祖」といわれます。