今月の言葉(2018年4月)
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
今月の言葉(A)
「回心えしんというは
自力の心をひるがえし すつるをいうなり」
(親鸞聖人作『唯信鈔文意』より)
※回心・・・①悪心を改めて仏の教えに帰すること。②自力の心を捨てて本願他力に帰すること。
ここでは当然、②である。カイシンと読めば、自分の罪を悔い改めて正しい信仰に入るというような、キリスト教的な意味が強くなると思われる。
※自力・・・自ら修めた身・口・意の善根によって迷いを離れようとすること。他力に対する語。
※他力・・・阿弥陀仏の本願のはたらきをいう。
※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。
※『唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』・・・宗祖が、同じ法然門下の先輩にあたる聖覚の著わした『唯信抄』について、その題号および引用された経釈の要文に註釈を施したものである。
今月の言葉(B)
「この源左はいっち悪いでしあわせだがやぁ」
(島根県 因幡の源左師)
「浅学菲才の私」「何もできない私」「私のような者が・・・」はよく口にする言葉ですが、どれも「私」を「お前」に代えて他人から言われたら冷静ではいられません。言葉の上ではいくら謙虚であっても、心底自分の至らなさを認めることはとても難しいです。そういう自分に気づかしてくれる存在、自分の物差しとは違う別の物差しを当ててくださる存在を持つことは非常に大事だと思います。
以上は3月「今月の言葉」のところで書いたことですが、「いっち悪い」は上のようにへりくだった表現としてならばまだ言える言葉かもしれません。けれど、次に「しあわせだがやぁ」とおっしゃる。これはどういうことだろか。
「出来の悪い子ほど可愛い」もよく言う言葉ですが、これはそういう子ほど親としては何とかしてやらねば、親の責任で常に見守ってやらねば、という親心の表れでしょう。阿弥陀様のことを親様と呼ぶ理由がこんなところにありそうです。
源左さんは、そんな親様に抱かれていることに気づき、感謝されているのではないでしょうか。
源左さんは「因幡の源左いなばのげんざ」で知られる、妙好人のお一人。天保13(1842)年生まれ、本名足利喜三郎。14歳の頃、土地の習慣により源左衛門と称するようになる。18歳の時、父が急死するが、「おらが死んだら、親様をタノメ」という臨終の言葉をきっかけに聞法に励む。入信は30歳ころといわれる。