今月の言葉(2018年8月)
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
今月の言葉(A)
「凡夫はすなわちわれらなり」
(親鸞聖人著『一念多念文意』より)
現代語訳
「凡夫」とは、すなわちわたしどものことである。
『一念多念文意』(現代語訳)の他所には、
「『凡夫』というのは、わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起こり、まさに命が終わろうとするそのときまで、とまることもなく、消えることもなく、絶えることもない」とある。
※凡夫[ぼんぶ]・・・凡愚ともいい、聖者に対する語。四諦の真理をさとらず、煩悩に束縛されて六道を輪廻する者をいう。煩悩に束縛されて迷っている人。
※四諦[したい]・・・4つの真理で、お釈迦様の最初の説法の内容とされ、仏教の根本教理の一つに数えられる。つまり、①苦諦[くたい](人生は苦であるという真理)、②集諦[じったい](苦を招き集める原因は渇愛であるという真理)、③滅諦[めったい](渇愛を滅することによって苦のない境地が実現するという真理)、④道諦[どうたい](苦のない境地に至るためには、八正道を実践すべきであるという真理)。
※八正道[はっしょうどう]・・・さとりに至るための8種の正しい実践方法のこと。①正見②正思惟③正語④正業⑤正命⑥正精進⑦正念⑧正定
※六道[ろくどう]/輪廻[りんね]・・・衆生がそれぞれの行為によって趣き往く6つの迷いの世界。つまり、①地獄②餓鬼③畜生④阿修羅⑤人間⑥天。仏教は、その6つの迷いの世界を生まれ変わり死に変わりする(輪廻)から離れることを目的とする。
※『一念多念文意いちねんたねんもんい』・・・専修念仏は一念多念のいずれにも偏執しない、念仏往生の義であることを明らかにしたもの。『一念多念証文』ともいう。
※専修[せんじゅ]念仏・・・南無阿弥陀仏(念仏)を称えることだけを修すること。
※一念多念・・・浄土往生は信心一つで決定する、または1回の念仏だけで決定するとし、その後の念仏を軽視する一念義の説と、一生涯、数多くの念仏を称え、臨終来迎(臨終時に阿弥陀如来がその人を迎えに来ること)をまって浄土往生が決定するという多念義の説。または、両者の論争のこと。
今月の言葉(B)
「仏法のお助けは
出直してこいちゅう お叱りじゃわいのう」
(山口県 お軽師)
※六連島のお軽同行・・・山口県六連島[むつれじま]出身のお軽[おかる]さんは妙好人のお一人(1801~1857)。夫に愛人ができ嫉妬に怒り苦しむことが機縁となって聞法するようになった。35歳の頃、病で生死をさまようこととなり、この頃より読み書きのできなかったそうだが、心の喜びが歌となって生れてきたという。
六連島では盆の三日間夜を徹して盆踊りが行われ、その中に「法悦踊り」というのがあり、お軽さんの歌が盆踊り歌として今も歌いつがれているそうだ。
※同行[どうぎょう]・・・浄土真宗において、心を同じくして共に念仏の道を行ずるもののこと。
※妙好人・・・念仏者をほめ称えていう語。
《盂蘭盆会とは》
盂蘭盆会[うらぼんえ]は盆会、歓喜会などともいい、『盂蘭盆経』に説かれた故事に由来するといわれる法要。その経には目連尊者が安居[あんご※]の最終日(旧暦の7月15日)に衆僧を供養することによって、餓鬼道で苦しむ母を救ったと説かれている。日本では先祖崇拝の風習と結びついて仏教行事の一つとなった。
浄土真宗では、こうした先祖供養の意ではなく、故人を追憶するとともに、無常の理を感じて仏恩報謝する仏事とされる。ご先祖に出会えるお墓参りの際には、ご先祖から今の私に至るいのちのつながりに思いを馳せて感謝し、それと同時に、ご先祖をお浄土に往生させて仏様にしてくださった阿弥陀様のおはたらきを忘れることなく、感謝の「南無阿弥陀仏」を申しあげたい。
※安居…インドの雨季、修行僧は遊行を避け一所で集中して修業したことをいう。わが国でも教学を研鑽する期間として各宗が行う。