今月の言葉(2019年1

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「如来誓願の薬は よく智愚の毒を滅するなり」 
                     (親鸞聖人著『教行信証』より)

現代語訳
如来の誓願は、自力のはからいである智慧の毒も愚痴の毒も滅するのである。

愚痴の毒は滅した方がいいと思いますが、智慧も
滅した方がよいものなのでしょうか。そもそも智慧が毒なのでしょうか。智慧といえば仏様の智慧であり、知恵は普通の私どもの生活上の知恵と思っていました。
現代語訳を見ると「自力のはからいである智慧」ですから、仏様の智慧ではないらしい。しかも、注(下記)にあるように、「自力のさかしい智慧」であれば、所詮自分が身につけた程度の智慧であろうし、それなりの努力をした上での智慧だろうから、どうしても自分が努力したことにとらわれ、恐らく「さかしい」智慧なのに「絶対正しい」と思い込むような自己中心の智慧であろう。そうなると、その智慧の毒も取り除いてもらわないといけないのでしょう。

※如来誓願・・・如来は真如より現われ来った者、あるいは真如をさとった者の意で仏のこと。誓願は、目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意志のこと。ここでは阿弥陀如来が如来(仏)になるの菩薩であった時に、すべての人々を救おうと建てた願のこと。
※智愚の毒・・・自力のさかしい智慧の毒や、愚痴(おろかさ。真理に対する無知)の毒。
※教行信証・・・浄土真宗の宗祖親鸞聖人の主著



今月の言葉(B)

「科学は自然への問いかけ 宗教は自己への問いかけ」
                        (ウィルス学者 東昇師

学生時代に師の「力の限界~自然科学と宗教」という本を読みました。45年ほど前のことですから、その内容は詳しく憶えていないのですが、科学に限界がありそうだということは何となくインプットされたような気がします。
その頃からでしょうか、新幹線ができたから親の死に目に遭える人がかつてよりきっと多くなったはずだ、と考えられそうだけど実はそうでもないのでは、と考えるようになりました。
親の死に目に遭いたいと思う人は限りがありません。3時間では実家に戻れず間に合わなかった人が2時間で戻れて間に合い、よかったよかった。でも、2時間では間に合わない人は1時間半で戻りたい。・・・別の人は1時間で戻りたい、さらに別の人は30分で戻りたい。もともと3時間もかかっては無理だと諦めていた人に、遭えるかもしれないという「願いや欲望」が生ずるようになります。しかし、いくら高速の新幹線ができてもすべての人が間に合うようにはなりません。
感情的なことは横に置きますが、「諦める」は実は「あきらかにすること、道理がわかること」のようです。新幹線はその「あきらかにすること」についての解決には残念ながらならない、と思うのです。新幹線は死を受け入れることについての解決には寄与できません。
つまり、科学(技術)は私たちの願いや欲望をどれだけか(時には非常に多く)満足させることができますが、究極的な解決策を提示することはできないと思うのです。
科学(技術)を否定するつもりはまったくありませんし、有効な面が多数あることは誰もが認めるところでしょうが、科学では解決できないことがあるのだと思えるのです。

※東昇・・・ひがし・のぼる、鹿児島県出身、1912~1982。ウィルス学、顕微鏡学の権威で、京都大学名誉教授。国産第1号の電子顕微鏡の製造者として知られるほか、浄土真宗の信仰を拠り所に仏教書を著わしたり、仏教に関する講演をしたりした念仏者であった。