今月の言葉(2019年8月)
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
※2019年1月より、A3用紙に仏教に関する内容を簡単にまとめ、「A3仏教」と名付 けて上記掲示板に掲示することにしました。若干手を加える場合がありますが、ここにも掲げることにします。
《お詫び》
何を勘違いをしていたのかわかりませんが、「今月の言葉」の7月分を下書き状態のままで公開するのを忘れていました。そこで、7月分を8月中頃まで公開し、その後8月分を公開することにしました。
お見苦しいことで申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いします。
今月の言葉(A)
「涅槃の真因はただ信心をもってす」
(親鸞聖人作『教行信証』より)
現代語訳
さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである。
・・・阿弥陀仏の第18願には「至心・信楽・欲生」の三心が誓われているけれども、なぜ天親菩薩は「一心」と言われたのだろうか、という問いに対して、
「愚かな衆生に容易にわからせるために、さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである」と答えておられるのだ。
天親菩薩は至心・信楽・欲生の三心は信楽の一心におさまる(三心即一心)といわれた。
※涅槃[ねはん]・・・さとりの境地のこと。梵語ニルヴァーナnirvãnaの音訳。滅度・寂滅などと意訳する。すべての煩悩の火が完全に吹き消された境地のことで、仏教の最終的実践目的。
※阿弥陀仏の第18願・・・阿弥陀仏の48願中の第18願。つまり阿弥陀仏が、「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」と誓い願われたこと。
※五逆・・・5種の重罪。父を殺す、母を殺す、阿羅漢の聖者を殺す、仏の身体を傷つけて出血させる、教団の和合一致を破壊し分裂させる。
※三心・・・至心[ししん]・信楽[しんぎょう]・欲生[よくしょう]。三信ともいう。
※至心・・・まことの心。真実の心。
※信楽・・・阿弥陀仏の本願(それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなう願い、誓願ともいう)の生起本末を聞いて疑いのない心。他力信心のこと。
※欲生・・・阿弥陀仏のの浄土に往生しようとおもう心。
※教行信証・・・親鸞聖人の主著。「本典ほんでん」ともいう。日頃お勤めして親しんでいる「正信念仏偈」はこの著書の中の偈文。
今月の言葉(B)

「自分が悲しいのと
自分を悲しむというのでは
天地のちがいがある」
(医師 米沢英雄師)
悲しいのは 死ぬことではなく
悲しいのは 人生でもなく
悲しいのは 私だからです
悲しいのは 私がいるために
悲しいのは 私であるために
悲しいのは 私自身だから
(詞:岡本おさみ 曲・歌:吉田拓郎 1976年 部分)
「悲しいのは」という拓郎の歌があった。いかにも悲しいような、しみじみとした歌唱ではなくテンポのかなり速いラテン系のノリの歌である。
若い時はフォークのプリンスといわれ、今に至るまで数々のヒット曲を生み、絶大な人気を誇っている拓郎。フォーク界・歌謡界への影響も多大であり、それほどの大御所ではあるが、その割に彼の歌は知識人に評価されない、ということを聞いたことがある。
そんな彼が30歳の頃にこの歌を歌い始めた。(余談だが少し前の1974年、このコンビの作詞・作曲で森進一に「襟裳岬」を提供する)
確かに拓郎自身の作詞ではないが、こういう歌を彼は歌っていたのだ。
米沢師の言葉を見つけて、歌を聞き直してみた。
※米沢英雄・・・福井県生まれ、1919~1991。開業医(医学博士)で浄土真宗の伝道者。浄土真宗に関する著書多数。
《先祖の祟りはあるのか》 …「A3仏教」2019.8
「この頃の我家の病気や事故は、不幸な死に方をしたご先祖の祟りだ」という方がおられます。
人は弱いのでついついそう思うこともあるし、自分が原因と考えたくないこともあります。
冷静に考えましょう。
私の両親が2人、祖父母4人、曾祖父母8人、10代前なら1,204人です。直系でその数ですから傍系や姻族を含めれば膨大な人数です。
その中に不幸な死に方をした方がいても全く不思議ではありません。例えば、先の大戦、さらに遡って戦国時代のご先祖はどうだったのでしょうか。殺すか殺されるかという厳しい世の中を生きて来られました。
浄土真宗では阿弥陀様のはたらきで誰もが極楽浄土に往生して、仏様になります。さて、あなたは子や孫に祟りますか?
※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
(山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。
※2019年1月より、A3用紙に仏教に関する内容を簡単にまとめ、「A3仏教」と名付 けて上記掲示板に掲示することにしました。若干手を加える場合がありますが、ここにも掲げることにします。
《お詫び》
何を勘違いをしていたのかわかりませんが、「今月の言葉」の7月分を下書き状態のままで公開するのを忘れていました。そこで、7月分を8月中頃まで公開し、その後8月分を公開することにしました。
お見苦しいことで申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いします。
今月の言葉(A)
「涅槃の真因はただ信心をもってす」
(親鸞聖人作『教行信証』より)
さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである。
・・・阿弥陀仏の第18願には「至心・信楽・欲生」の三心が誓われているけれども、なぜ天親菩薩は「一心」と言われたのだろうか、という問いに対して、
「愚かな衆生に容易にわからせるために、さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである」と答えておられるのだ。
天親菩薩は至心・信楽・欲生の三心は信楽の一心におさまる(三心即一心)といわれた。
※涅槃[ねはん]・・・さとりの境地のこと。梵語ニルヴァーナnirvãnaの音訳。滅度・寂滅などと意訳する。すべての煩悩の火が完全に吹き消された境地のことで、仏教の最終的実践目的。
※阿弥陀仏の第18願・・・阿弥陀仏の48願中の第18願。つまり阿弥陀仏が、「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」と誓い願われたこと。
※五逆・・・5種の重罪。父を殺す、母を殺す、阿羅漢の聖者を殺す、仏の身体を傷つけて出血させる、教団の和合一致を破壊し分裂させる。
※三心・・・至心[ししん]・信楽[しんぎょう]・欲生[よくしょう]。三信ともいう。
※至心・・・まことの心。真実の心。
※信楽・・・阿弥陀仏の本願(それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなう願い、誓願ともいう)の生起本末を聞いて疑いのない心。他力信心のこと。
※欲生・・・阿弥陀仏のの浄土に往生しようとおもう心。
※教行信証・・・親鸞聖人の主著。「本典ほんでん」ともいう。日頃お勤めして親しんでいる「正信念仏偈」はこの著書の中の偈文。
今月の言葉(B)
「自分が悲しいのと
自分を悲しむというのでは
天地のちがいがある」
(医師 米沢英雄師)
悲しいのは 死ぬことではなく
悲しいのは 人生でもなく
悲しいのは 私だからです
悲しいのは 私がいるために
悲しいのは 私であるために
悲しいのは 私自身だから
(詞:岡本おさみ 曲・歌:吉田拓郎 1976年 部分)
「悲しいのは」という拓郎の歌があった。いかにも悲しいような、しみじみとした歌唱ではなくテンポのかなり速いラテン系のノリの歌である。
若い時はフォークのプリンスといわれ、今に至るまで数々のヒット曲を生み、絶大な人気を誇っている拓郎。フォーク界・歌謡界への影響も多大であり、それほどの大御所ではあるが、その割に彼の歌は知識人に評価されない、ということを聞いたことがある。
そんな彼が30歳の頃にこの歌を歌い始めた。(余談だが少し前の1974年、このコンビの作詞・作曲で森進一に「襟裳岬」を提供する)
確かに拓郎自身の作詞ではないが、こういう歌を彼は歌っていたのだ。
米沢師の言葉を見つけて、歌を聞き直してみた。
※米沢英雄・・・福井県生まれ、1919~1991。開業医(医学博士)で浄土真宗の伝道者。浄土真宗に関する著書多数。
《先祖の祟りはあるのか》 …「A3仏教」2019.8

人は弱いのでついついそう思うこともあるし、自分が原因と考えたくないこともあります。
冷静に考えましょう。
私の両親が2人、祖父母4人、曾祖父母8人、10代前なら1,204人です。直系でその数ですから傍系や姻族を含めれば膨大な人数です。
その中に不幸な死に方をした方がいても全く不思議ではありません。例えば、先の大戦、さらに遡って戦国時代のご先祖はどうだったのでしょうか。殺すか殺されるかという厳しい世の中を生きて来られました。
浄土真宗では阿弥陀様のはたらきで誰もが極楽浄土に往生して、仏様になります。さて、あなたは子や孫に祟りますか?