※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。 (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
※恥ずかしながら、住職の揮毫でご紹介しています。
※当寺をご紹介する画像を添えています。宗圓寺をより身近に感じていただければうれしいです。
今月の言葉(A)
「老いが、病いが、死が
私の生を問いかけている」
(二階堂行邦師)
※二階堂行邦・・・真宗大谷派専福寺(東京)前住職、著書多数。
今月の言葉(B)
生まれてきたから死ぬのだ
いまさら 驚くことか
生きて死ぬ いのちを
生きている」
(西本願寺)
※このメッセージは、本願寺第8代蓮如上人(1415~1499)が書かれた『御文章』にある「当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、今の時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきやうにみなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、『末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし』と仰せられたり。かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうへには、ねてもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すは、かやうにやすくたすけまします御ありがたさ御うれしさを申す御礼のこころなり。これをすなはち仏恩報謝の念仏とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。[延徳四年六月]」がもとになっている。
[今月の画像] 当寺ご門徒の作品、寄贈作品の展示
当寺には絵画や書、写真、刺繍あるいは自選句集などご門徒自作を中心に多数の寄贈作品があります。それらを至る所に展示して参詣者に楽しんでいいただいております。書物も公開しています。
また、『寺報』(年3回発行)の「作者点描」コーナーで作者を順次ご紹介しており、同コーナーは現在53回連載中です。